教会の歴史

The Story

歴史ととも歩んできた教会

福岡ベタニヤ村教会は、創立から40年を迎えましたが、現在至る前にほかの教会にはない前史を持っています。この部分なくして、この教会の歴史を語ることはできません。また、日本バプテスト連盟の中で、このような成立の仕方をした教会は他にはないと思います。そして、そのことがこの教会の性格を決定しています。

ラザロの会の誕生と解体

 1971(昭和46)年1月31日に、「ラザロの会」という青年有志の会が福岡で生まれました。それは、前身のバプテスト地方連合青年会への存在意義を見出せず、解散した結果に誕生しました。このような経過を辿ったのは福岡だけでした。しかしそれは、1970年代初頭の世相を色濃く映しているようでもありました。

 30人の青年たちが自主的な活動を行なっていました。上部団体も牧師やそれに類する指導者もいません。活動資金も自前です。また、この間はどの団体からの接触もありません。毎月、第1主日の夕方に福岡教会に有志数名が集まって、「夕食会」と呼んだ事務会を行い、案内状のはがきをガリ版で印刷をしていました。毎月の例会では聖書研究を行い、開催場所となる教会は固定せず、毎月移動したので、メンバーもその都度不特定で入れ替わっていました。

 学生運動もピークを過ぎたころ、青年たちは「反戦」や「連帯」を声だかに唱える政治問題から、より身近な自分自身の問題に回帰していきます。自分の教会で学んだ「信仰」しか知らなかった青年たちが、他の教会の異なる「信仰」に出会うことで、世界が広がる経験と出会いを喜んでいました。こうした動きに触発された久留米教会の青年たちは、「そこに参加して今までと全くちがった、自由で明るい聖書の学びと真剣な対話に目ひらかれ(略)、教会員のありように対して鋭い問をつきつけ」、牧師依存型を排して、主体的に教会形成に関わるようになり変わっていきました。

 そして、7年の月日が過ぎたころ、マンネリ化を免れるため、これからの方向性について多くの論議を重ね、ラザロの会の解体と、新たな教会形成を決断しました。1978年2月の東福岡バプテスト教会での例会で、ラザロの会を解体しました。

自立した教会の礎

 メンバーは東区貝塚団地で読書会を続け、1年間の準備期間を経て、所属していた東福岡、姪浜、福岡教会などを離れて、1979年3月の「福岡ベタニヤ村教会」設立に加わることになります。教会の名前は、まだ建物がなかった段階で付けられました。愛宕や限定された地域ではなく、「ベタニヤ村」は従来の概念を超えた広がりの中にありました。

 母教会が伝道所を生み出す形態が「普通」と言われた当時、少なからず批判を受けていました。また、「アサ会事件」もあり、メンバーにもショックを与えていました(アサ会事件とは、1930年代初めにバプテスト西部組合から、多くの牧師・信徒が追放された事件)。

 スタート時の福岡ベタニヤ村教会は単立の教会で、福岡市西区愛宕1—1—19の40坪の借地に、献金と教会債で建てたプレハブ造りの小さな会堂を持っていました。新しい教会への勧誘は避けていましたが、発足時にはラザロの会のメンバーだけでなく、噂を聞きつけた数人が参加しました。福岡アサ会の猪城博之先生に、入口にかける看板の字を書いて頂き、何度か説教もしてもらいました。私たちは、この猪城先生を通してクリストフ・ブルームハルトJ.C.Blumhardt父子(父1805-1880、子1842-1919)の「祝福の先立ち」という信仰理解に触れる経験を得ていきました。今でも、1階の会議室に子ブルームハルトの写真が掛かっているのは、孤立無援であった私たちにとって嬉しい応援があったことの感謝のあかしでもあります。

交わり、つがっていく教会へ

 福岡ベタニヤ村教会は、信徒運動から始まったので、牧師がいませんでした。発足当時は、信徒だけで活動して行こうと考えていましたし、経済的にも牧師を招聘する力もありませんでした。そういう中で、教会発足から間もなくして、これまで水面下でくすぶっていた教会論をめぐる路線問題が表面化し、「共同体」を志向するメンバーが離れていきました。

 少数になった教会に思ってもいなかった人たちが加わることになりました。それは、脳性マヒ者CPの団体である「青い芝の会」に属して、自立生活を志向する壮年の重度身体障害者の渕上修さんであり、難病を抱えた龍山さん一家でした。「自立した信徒の教会」が、自立が困難な人たちを受け入れることになり、その結果、私たちは障害者を差別しているのではないかという問いの前に立たされ、「共に生きる」(隣人性)とは、どういうことかということを、身をもって考えさせられます。それは、私たちにとって非常にきつい経験でもあり、教会は看板を掲げた以上、「違い」を受け入れざるを得ませんでした。

  こうして、ラザロの会という同志的結合を超えて、開かれた「教会」となる努力を、これ迄にも増して進めることになりました。丁度その頃、西南学院大学神学部を卒業して、九州大学大学院に進学した片山寛さんを牧師に迎えました。これらの転換が、現在の福岡ベタニヤ村教会を形成しています。

 その後、日本バプテスト福岡城西キリスト教会(山田雄次牧師)の伝道所となり、現在は日本バプテスト連盟を構成する教会の一つとなっています。  最初の教会は、交通量の多い市道(旧国道202号線)に面していましたが、市道の拡幅工事のため、福岡市から立ち退きを要請され、1999年に室見川沿いの早良区南庄5-4-37の現在地に移り、ここから新たな教会の歴史が始まりました。

初期の頃の礼拝[1982年]
太宰府一泊修養会[1983年]
たけのこ村卒村式[1986年]
クリスマスページェント[1987年]
たけのこ村卒村式[1990年]
教会組織諮問会議[1991年]
野外礼拝と運動会[1996年]
礼拝[1997年]
バザー[1997年]
外礼拝とバーベキュー[1980年]
バプテスマ式[1996年]
教会学校の様子[1996年]
旧会堂での一枚
新会堂の竣工当時