福岡ベタニヤ村教会信仰告白

当教会について, 教会の信仰告白

stendglass日本バプテスト連盟 福岡ベタニヤ村教会信仰告白

私たち福岡ベタニヤ村教会は、1979年4月の開設以来、バプテスト教会形成への祈りをもって歩んできましたが、この度自立した教会としての歩みを始めます。この間母教会である福岡城西キリスト教会及び、日本バプテスト連盟諸教会・伝道所のお祈りとご支援があったことを感謝しつつ、この時にあたり、バプテストとしての信仰を確認し、主イエス・キリストに従って主のからだなる教会を形成し、協力伝道を喜んで行うために、下記の信仰を告白します。

■聖書

旧・新約聖書66巻は、神の霊の導きに従って書かれたもので、その中心はイエス・キリストです。聖書は私たちの生活すべてにおける唯一の規範です。私たちは聖霊の導きを祈りつつ聖書を読みます。すなわち自分の理解の範囲にとどまらず、主にある交わりにおいて共に読むことを喜び、イエス・キリストのからだなる教会を形成します。

■イエス・キリスト

イエス・キリストは、聖霊によって処女マリヤより生まれ、神の国を宣べ伝え、いと小さき者に仕え、喜びや悲しみを共にされました。そして苦難を受け、ポンテオ・ピラトのもとに十字架上で処刑され、死んで葬られ、陰府[よみ]にくだり、三日目によみがえられました。このようにして、私たちのあがないとなられ、救いを成就されたイエス・キリストこそ私たちの主であり希望です。

■父なる神

イエス・キリストにおいてご自身を啓示され、イエスがアバ(父)と呼ばれた神こそ、天地の創り主、全能の神であり、父・子・聖霊として働かれる唯一の神です。神は地にあるすべてのものを善きものとして創造されました。それゆえ私たちは、すべての被造物が神の救いの計画の下で守られ、支配されていることを信じます。

■聖霊

聖霊は、人を生かす神のいのちの息であり、この聖霊のとりなしによって人はイエス・キリストの救いの出来事にあずかることができます。また、この世界の不可能を可能とされる聖霊の賜物を与えられて、私たちは教会形成にたずさわります。

■人間

神は愛と自由により、人間をご自身にかたどって造られました。しかし、人間は神から与えられた自由をゆがめ自ら罪に墜[お]ちました。その罪の中で人間は、神の被造物をむさぼることで、うめき苦しんでいます。それにもかかわらず、神は愛と慈しみにより、私たちをイエス・キリストを信じる信仰によって罪から開放し、神との新しい契約に招いておられます。イエス・キリストによって表された神の恵みに応え、私たちは自分の口(身体)でイエスは主であると告白し、バプテスマを受け、主のからだなる教会に連なります。またその恵みにより、私たちは隣人との出会いを喜び、共に生きることへと促されています。

■教会

教会はイエス・キリストのからだであり、聖霊によって呼び集められた者たちの集まりです。私たち一人ひとりは、キリストの前に平等であり、それぞれの賜物と責任においてひとしく教会の業[わざ]にたずさわります。教会に連なる私たちは、世にあって神と人、人と人、人と他の被造物との和解に努めます。
私たちの教会はバプテストの群れとして自主独立ですが、他の教会との交わりと協力、また新しい出会いを喜びます。

■礼典

私たちは、主が命じられたバプテスマと主の晩餐の二つの礼典が、主の恵みにより教会に与えられていることを、喜び行います。
バプテスマは、イエス・キリストを主と告白する者が、主の十字架と共に死に、主の復活と共に新しい生命によみがえることを象徴するもので、私たちはそのかたちとして浸礼を守ります。
主の晩餐は、私たちのあがないのために十字架にご自身を渡されたイエス・キリストの死を記念するものです。私たちは主のからだと血とを象徴するパンとぶどう酒にあずかり、主が再び来られることを待ち望みつつ、主にある交わりを形成することを証しし、確認するものです。

■主の日

私たちはイエス・キリストがよみがえられた週の初めの日を主の日とし、これを記念して礼拝をささげます。この日に私たちは、神から与えられたそれぞれの場から教会に集められ、霊とまこととをもって主を讃美し、祈り、み言葉を聞き、罪を悔い改め、感謝のささげものをし、主の恵みを共に喜びます。私たちの生活のすべては、共に礼拝をささげるところから始まります。

■教会と国家

イエス・キリストは教会の主であると共に、すべての地上の権威・権力に対しても主であります。従って国家も神の支配のもとにあり、地上にある私たち一人ひとりが神に祝福された人間として生きることができるようにと仕えるものです。しかし、かつて神ならざるものを神として礼拝し、人間の尊厳を奪い、アジア諸国への侵略に荷担した歴史のもとにある私たちは、再び同じような過ちを繰り返さないために、その罪を深く悔い改め、国家が地に平和をもたらすために仕えるように祈り、行動します。

■希望

終わりの日、イエス・キリストは弟子たちに約束されたように、再びこの世に大いなる力と栄光にあふれて来られます。その時、イエス・キリストは生ける者と死せる者とを審[さば]かれ、救いと滅びに定められます。私たちは、主が約束されたその日を畏れつつも、希望をもって待ち望みます。

アーメン、主イエスよ来たりませ。
1992年3月15日